• 北欧の暮らしのアイデア

デンマーク家具の特徴と代表的デザイナー、椅子を紹介

「デザイン大国」と呼ばれる、北欧・デンマークの家具。その優れたデザインが生まれた背景には、私たちグリニッチも「Life Place(=心を満たす居場所)」のヒントを得ている、「豊かな国」デンマークの文化・環境、人々の暮らしや考え方があります。

今回はグリニッチでも販売中の書籍「流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史: なぜ北欧のデンマークから数々の名作が生まれたのか」(多田羅景太著/誠文堂新光社)を参考に、私たちと強い繋がりのあるデンマーク家具について、その歴史的背景とともに深堀ります。

デンマークという国について

高税率だが充実した社会福祉制度

デンマークは社会サービスが充実した国として広く知られています。例えば、医療費、出産費、教育費が無料であることに加え、高齢者・障害者サービスも充実しています。これらの手厚い社会サービスを国が提供するために、デンマーク国民は高い税金を支払っています。日本の消費税に当たる付加価値税は25%。国税と地方税を合わせた所得税は、収入額や居住地によって変わりますが、所得が多いと収入の約半分を税金として収めています。

またデンマークでは、近年日本でも推進されているホームドクター制度が定着しています。体調が思わしくない場合、まずはホームドクターの診察を受け、この診察で高度な医療やより精密な検査が必要だと判断された場合のみ、高度な医療を受けられる大きな病院で診療してもらえます。必要な患者のみ大きな医療機関にかかるため、無駄な税金が使用されない仕組みです。ホームドクターでの受診はもちろん無料、大きな医療機関における高度な治療費も一切かかりません。このようなメリハリのきいた医療保障制度が、税金を浪費せず安心して暮らせる社会を作り出しています。

世界幸福度ランキングで常に上位

教育費に関しては、小学校から大学までの公立の学校は全て無料です。義務教育は0年生から9年生の10年間となっており、小中一貫の国民学校に通います。約20%が私立の学校に通っていますが、私立の場合でも過程が負担する授業料は全体の15%程度で、残りは税金でまかなわれています。18歳になると、SUStatens Uddannelsesstotte)と呼ばれる返済義務のない学生援助金が、最長で6年間、国から支給されます。SUだけで足りない部分はアルバイトで不足分を補うようですが、勉学に支障が出るほどアルバイトをする必要はありません。

このように、デンマークでは国民全員がお金を出し合うことで、老後まで安心して暮らせる社会を実現しています、その表れの一つとして、2012年以降、国連によって毎年発表されている世界幸福度ランキングで、デンマークは常に上位3位までに入っています(最新2022年は、デンマーク2/日本54位)。充実した社会サービスを受けるために高い税金を納めつつ、充実した社会サービスを享受しているデンマーク人の様子が伺えます。

「協働の意識」の上で成り立つデンマークの社会

上記のような手厚い社会福祉制度実現の根底には、デンマーク人特有の「協働の意識」が存在します。かつてデンマークはスカンジナビア半島の大部分を統治していましたが、1523年にスウェーデンが独立、さらに19世紀初頭のナポレオン戦争による混乱によってノルウェーを失い、ヨーロッパの小国となってしまいます。限られた国土、資源、人材を効率よく最大限に活用するために知恵を絞って、国民が暮らしやすい社会をデザインする上で鍵となったのが、「協働の意識」でした。

かつて麦類を中心に生産していたデンマークの農家は、19世紀末に起きた農作物の価格暴落に伴い、酪農業や食肉加工業への転換を迫られました。その際に機能したのが協同組合という概念です。集落内にある各農家が費用を出し合って、個々に新設すると莫大のお金がかかる搾乳所や食肉加工場などを共同で建設しそれを共有することで、酪農業や食肉加工業へスムーズに移行することができました。これは近年よく耳にするシェアリングエコノミーの先駆けと言えます。

その後、協同組合という概念は生産者のみならず消費者へも広まり、全国の小売店をメンバーとした生活協同組合=FDBへと発展していきました。このFDBの家具部門として、1942年にFDBモブラーが設立されています(後述)。

冬の室内滞在時間が長く、快適な住空間が発達

デンマークは日本の九州ほどの広さの国で、そこに約580万の人々が暮らしていますが、これはちょうど福岡県と佐賀県の人口を合わせたぐらいです。日本と比較すると、デンマークがいかに小国であるかがイメージできます。日本よりずっと北に位置しているため、夏は天気がよいと非常に快適な気候で昼の時間も長いですが、冬になると暗くて長い夜が続きます。雪はあまり降らず、冬の間でも雨や曇りの日が多い印象です。この気候は、デンマークの文化にも大きな影響を及ぼしています。夏場は学校や仕事から帰宅した後に、家族でピクニックに出かけるということも珍しくありません。冬場は室内で過ごす時間が長いため、快適な住空間が発達しました。機能的で美しい家具が数多くデザインされたのも、そのためと考えられています。

デンマーク人の家具へのこだわり

自分らしくいられる、心地良い居場所づくりが得意なデンマークの人々。家具へのこだわりにもより一層強いものがあります。

家具を選ぶ上ではまず、徹底的に自分自身を分析します。自分の性格の物理的・精神的なニーズを把握する。そして「人間としてどう形づくられてきたか」の方に家具・インテリアを合わせることで、見栄えだけでなく、自分が本当に良いと思う“自分らしくいられるインテリア空間“を実現します。自分の性格と、家でどのように過ごしたいか。「人からどう思われたいか」ではなく、「どう生活したいか」で家具を決めることで、たとえ同じ間取りのお家でも、人それぞれ違う、その人にあった心地いい空間を作ることができるのだそうです。

また家の中で過ごす時間が長く、その家具と付き合う時間も長いデンマーク人にとって、時間が経っても飽きず、永く愛着がもてるということも、家具選びにおいてとても大切なポイントです。

家具選びのための自己分析の仕方、永く価値ある家具選びのポイントは、記事「心地いい空間のための、北欧式・家具選び」で詳しく紹介しています。

デンマーク家具の歴史

黄金期(1940年代初め〜1960年代)

黄金期の礎を築いたコーア・クリント

建築家でもあり家具デザイナーでもあったコーア・クリントは、デンマークモダン家具デザインの父とも呼ばれ、後のデザイナーに大きな影響を残した人物です。1942年にデンマーク王立芸術アカデミー家具科の教師として教壇に立ったクリントは、44年に家具科の初代教授となり、亡くなる54年まで王立芸術アカデミーで後進の育成に努めました。

クリントが教鞭を執り始めた頃、ドイツの総合芸術学校バウハウスを中心としたモダニズム運動がヨーロッパを席巻していました。「工業的な大量生産を前提とした合理主義・機能主義」を掲げたバウスハウスで生み出された椅子は、それまで家具の生産には使われてこなかった素材と技術を応用し、かつ無駄な装飾を排除することによって成立していました。デンマークではそれが独自の進化を遂げ、木材とそれに伴う伝統的なクラフトマンシップを維持しつつ、デザインを一般市民に開放するというモダニズムの本質を具現化していきます。これを先導したのがクリントで、彼は過去の伝統に真摯に向き合い、調査・分析・研究を行うことで新たにデザインし直す「リ・デザイン」と呼ばれるデザイン方法論を確立しました。

またクリントは、人体と家具の相関関係、収納家具のモジュールについても研究しています。日本でも美しい比率として用いられている1:1.414の白銀比。そこから導き出された数字をインチ規格で人体各部の寸法に割付け、家具デザインに応用しました。

このようにクリントは過去のデザインや伝統的なクラフトマンシップを尊重すると同時に、家具デザインに数学的アプローチやユーザビリティーの概念を加えることで、機能的で美しい家具をデザインすることに成功しました。このデザイン方法論は、クリントの下で家具デザインを学んだオーレ・ヴァンシャーやボーエ・モーエンセンなどにも引き継がれ、デンマークモダン家具デザインのいわば本流として黄金期の形成に大きな影響を及ぼしたと言われています。

黄金期を生み出した要因のひとつ、キャビネットメーカーズギルドによる展覧会

キャビネットメーカーギルドとは、家具職人組合を意味します。独自に店舗を持ち、富裕層を中心とした顧客への販売窓口となったり、それと同時に製品のクオリティーにばらつきが出ないよう品質管理を行っていました。さらには、若い職人の学びの場としても機能していました。

そのキャビネットメーカーギルドがある展覧会を企画します。背景には、戦後デンマークのクローネが高騰し、マホガニーなどの高級木材を容易に輸入できるようになったことがあります。高級木材を利用して高品質な家具を製作し、長年受け継がれてきた技術の高さを消費者にアピールすることが、キャビネットメーカーギルド展の目的でした。

1921年から1923年にスタートした展覧会は、一度小休止を挟み、再会した1927年から1966年までの40年間、第二次世界大戦中も含め途切れることなく続きました。この展覧会は、家具デザイナーや建築家と、家具職人が協力することにより、数多くの名作が生み出された場として知られています。コーア・クリントとルドルフ・ラスムッセン、ハンス J.ウェグナーとヨハネス・ハンセン、フィン・ユールとニールス・ヴォッダーといった、家具デザイナーと家具職人による名コンビはこの展覧会で誕生しました。

展覧会が継続して実施された40年間に、延べ78名の家具職人と230名以上の家具デザイナーや建築家が参加しました。その中には先に述べたような当時のデンマークを代表する家具デザイナーが数多くいたことから、黄金期に大きな影響を与えた展覧会と言えます。

黄金期に一般市民に良質な家具を普及させたFDBモブラー

FDBとは、デンマークで19世紀末に設立された生活協同組合(デンマーク生活協同組合連合会)の略称です。その家具部門として1942年に誕生したのがFDBモブラーで、「丈夫で、美しく、機能的、そして手軽な価格」という、当時としては画期的で過酷な開発条件をもとにスタートしました。

初代企画デザイン担当責任者には、先のキャビネットメーカーズギルド展で話題となっていたボーエ・モーエンセンを迎えます。彼の展示内容が、FDBの会長を努めていたフレデリック・ニールセンが描いた、モダンな住まいの理想像と一致していたのでしょう。モーエンセンはコーア・クリントが提唱したデザイン方法論を実践しながら、FDBモブラーが目指した「一般市民のための良質な家具」を生み出しました。

生活協同組合の組合員は、FDBモブラー専門店だけでなく、デンマーク国内に広がる約2,000のチェーン店に置かれたカタログを見て、FDBモブラーの家具を注文することができました。こうしてFDBモブラーは、生活協同組合の圧倒的な組織力を活用して、「一般市民のための良質な家具」をデンマーク国民に根付かせていきます。国民の生活レベルを家具の切り口で引き上げ、それを支えたFDBモブラーは、デンマーク家具の黄金期を語る上で欠かせない存在です。

※FDBモブラーについて詳しくは「北欧でFDBモブラーが愛されるワケ」よりご覧いただけます。

黄金期に販売面で貢献したデンパルマネンテ

鉄器職人でありデザイナーでもあったカイ・ボイセンが、老舗ガラスメーカー「ホルムガード」のディレクターであったクリスチャン・グラウバレと協力し1931年にスタートした「デンパルマネンテ」。高品質なデンマークの日用品を集めた常設展示場で、コペンハーゲン中央駅近くにあり、当時そのモダンな外観で話題となったヴェスタポートビルの2階に開設されました。背景にあるのは1920年代、国外から様々な日用品が入ってきたこと。ロイヤルコペンハーゲンやホルムガードなど伝統的な質の高い日用品が追いやられてしまうことに危機感を感じたカイ・ボイセンが、「デンマーク人に自国の製品の魅力を改めて認識してもらうこと」「海外からのバイヤーにデンマーク製品の質の高さを効率的にアピールすること」を目的にスタートしました。

デンパルマネンテのオープンは当時、世間からの関心を集め、オープン初年度の来場数は約10万人、1937年には年間来場数19万5千人に達しました。その後、戦争による運転資金の不足などで一旦存続の危機に陥るも、運営委員会のメンバーを大幅に入れ替えて立て直しを図ります。海外へ向けた広報の重要性に気づいた新しい運営委員会が、海外に向けて積極的な宣伝活動を行い、これが実を結んで海外からの旅行者がデンパルマネンテに殺到。1950年からの10年間で売り上げを5倍以上に伸ばし、見事復活を遂げました。

小国デンマークの国民需要は限られたものでしたが、デンマークの優れた工芸品や日用品はデンパルマネンテを通じて世界へと発信され、大きなインパクトを与えました。また、時を同じくして活況を呈していたキャビネットメーカーズギルド展で発表された家具も、デンパルマネンテを通じて世界へと羽ばたいたのです。

衰退期(1970年代初め〜1980年代)

1940年代から60年代にかけて、黄金期を迎えていたデンマークモダン家具デザインでしたが、70年代に入るとその勢いは衰え始め、長い衰退期に入ります。

要因の1点目は、黄金期を経てデンマークモダン家具への海外からの需要がアメリカを中心に一気に高まったことです。当時の家具工房の多くは20名から30名程度の家具職人によって構成されていました。このような小規模な工房なので、国内外から殺到するオーダーの対応に追われ、新たに家具デザイナーや建築家と協力して新作を開発する余裕がなくなってしまったのでしょう。また黄金期に生み出された人気の高い家具が飛ぶように売れたことによる慢心があったとも考えられます。

2点目は、家具職人の高齢化が考えられます。黄金期における家具づくりは、デザイナーと家具職人の協働作業によって開花しましたが、戦後の近代化に伴い、デンマークにおける家具づくりも、家具工房における少量生産からファニチャーファクトリーとも呼ばれる大規模工場での大量生産へと変化していきます。デンマークには高い木工技術を持った家具職人が数多く存在していましたが、時代の変化によってその数は減少の一途をたどりました。多くの家具工房は後継者を育成することができずに廃業に追い込まれてしまいました。

3点目として、黄金期に活躍した著名な家具デザイナーや建築家も高齢期を迎え、その後相次いで他界してしまったことも衰退化の一つの要因です。アルネ・ヤコブセン、オーレ・ヴァンシャー、フィン・ユール、ボーエ・モーエンセン、ポール・ケアホルムはいずれも1970年代から80年代にかけて亡くなっています。

現代

 1980年代に衰退したとは言え、デンマークモダン家具デザインは完全に没落したわけではありませんでした。日本では1990年代中頃から徐々に再評価されるようになり、2000年代に入ると「北欧デザイン」というワードを看板に、メディアを通じて度々紹介されるようになります。バブル経済が弾けて以降、自己を評価する表面的なものではなく、派手さはなくとも本質的に優れたものへの関心が高まった結果といえるでしょう。

その後「北欧デザイン」は、インテリアデザインの一つのジャンルとして定着していきます。特にデンマークの家具は「北欧デザイン」の中核として、インテリア雑誌やファッション雑誌などでも広く紹介されています。

2000年前後には、HAY(ヘイ)muuto(ムート)など、家具だけでなく照明器具や生活雑貨などを総合的にプロデュースする新ブランドが設立され、近年、デンマークのデザインに新しい風を吹き込んでいます。また、キャスパー・サルトやセシリエ・マンツに代表される新世代のデザイナーも活躍しています。

デンマーク家具の魅力

デンマーク家具の魅力は、そのデザインが「よりよい生活を」という理念のもとに作られたものであるということです。あらゆるデンマークデザインの底流には、民衆により良い日用品を提供し、その生活を確実に豊かにすること、その豊かさが本質的なものであること、そのことがデザイナーの使命でした。本来、「デザイン」という概念は、暮らしや社会を整えるために行われる大小様々な活動そのものを含んでいます。そしてデンマークこそ、本来の意味での「デザイン」が広く定着した社会だったのです。デンマークを代表する家具デザイナーたちは、単に良い家具をデザインすることを目標にしていたのではなく、良い家具をデザインすることで、より良い暮らしを作り出そうと努力していました。デンマークには個性豊かなデザイナーや建築家が多数いますが、共通認識としてこのような想いが根底にあったからこそ、生活者から長く愛される家具が数多く誕生したと言えます。「ヒュッゲ」などデンマーク特有の心地よい暮らしは、こうしたデザイナーたちの努力もあって実現したのでしょう。

デンマーク家具の特徴 

・デザイナーの優れた感性と、それを創作する職人の優れた技が、常に一つの作品に結集していること。手作りの一点ものの家具であれ、量産の家具であれ、その基本の姿勢に変わりはありません。デザインする力と作る力がお互いに水平の関係によって成立し、そのことがお互いの能力を大きなものにしています。

・作品の背後に、それを使用する人々に対する限りない共感を読み取ることができること。その共感は、日常の一般庶民の生活への共感であり、人間そのものへの共感です。人間が使い、親しみ、年月を重ねていくことで、家具がその人とその人生を共有するであろうところまで、もののあり方を突き詰めてデザインされています。

・ものをつくるための、素材に対する独特の理解と感性が読み取れること。厳しい風土の中で自然と対峙し、自然を見つめ、自己の内部を見つめてきた人たちが持つ、素材への深い理解。ただ素材の持つ質や性格を鵜呑みにするにではなく、素材の質を深く理解した上で、人間の技や技術がどれほどの素材を生かしきれるか、デザインと製作技術を通じて挑戦する態度が、デンマーク家具の特徴です。

    以上の三点から、デンマーク家具の特徴は下記の6つにまとめることができます。

    (1)優れたクラフトマンシップ

    (2)素材への十分で深い理解

    (3)人間生活へのよりよい提案

    (4)美しさへの理解と表現

    (5)デザイナーの個性の尊重

    (6)品質への責任

      デンマーク家具の代表的デザイナー/椅子

      Kaare Klint (コーア・クリント)
      ...デンマークモダン家具デザインの父

      1888年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。「デンマーク近代家具の父」と称され、デザイナー、教授、デザイン界のリーダーとして世代を超えて多くのデザイナーに影響を与えてきました。彼が提唱した「人間工学」「リ・デザイン」の思想は、様式を重視したそれまでの建築や家具デザインの手法を大きく改革したことで高く評価されています。代表作:Church Chair

      Borge Mogensen (ボーエ・モーエンセン)
      ...庶民の暮らしの理想主義者

        1914年、デンマーク・オールボー生まれ。デンマーク王立芸術アカデミーの前身であるデザイン学校の家具学部でコーア・クリントに師事。その後も助手としてクリントからデザインを学びます。194228歳の時にFDBモブラーの初代代表に就任。家具デザインの構造の簡素化と細部に人の手を必要とする職人技術を追求し続けました。代表作:J39、Spanish Chair

        Hans J. Wegner (ハンス・ウェグナー)
        ...クラフトマンシップの極み

          1914年、デンマーク・トゥナーに生まれ、14歳で家具職人の見習いとしてデザインの世界に足を踏み入れます。17歳でに指物師の資格を取得し、その後、国立産業研究所で木材についての専門的な研究を重ね、22歳(1936年)からはコペンハーゲン美術工芸学校でデザインの勉強を始めました。卒業後の1940年から、アルネ・ヤコブセンとの共同プロジェクトで、オルフス市庁舎の家具のデザインを担当。1943年に独立し、現在に至るまで500脚以上の椅子をデザインし、国内外を問わず多くの展示会では数々の賞を受賞しています。代表作:The chairCH24

          Arne Jacobsen (アルネ・ヤコブセン)
          ...多才な完璧主義者

          1902年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。1927年にデンマーク王立芸術アカデミーを卒業し、2年間コペンハーゲンで建築家として仕事をした後、自身の設計事務所を立ち上げます。デンマーク建築のモダニストとして世界的に有名で、生み出した作品はデンマーク国立銀行のような壮大な建築から、掛時計やカトラリーなど小物にまで多岐に渡ります。代表作:Seven ChairSwan Chiar

          Finn Juhl (フィン・ユール)
          ...独自の審美眼

            1912年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。「家具の彫刻家」と称されるほど美しい造形に特徴があります。その背景にはニールス・ヴォッター工房の存在が大きく、デザイナーと工房が結託してた時代に活躍したデザイナーの一人です。現在では入手困難となったブラジリアンローズウッドや良質なチークで作られている作品が多いのも特徴です。代表作:ペリカンチェア、No.45、チーフティンチェア

            Peter Hvidt & Orla Mølgaard Nielsen (ピーター・ヴィッツ&モルガードニールセン)
            ...隠れた名作「AXチェア」

              Peter Hvidt1916年、Orla Molgaard Nielsen1907年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。ともに建築家である二人は共同の設計事務所を開設し、家具・装飾・建築の分野で活躍しました。代表作:Portex chair、AX chair

              Grete Jalk (グレーテ・ヤルク)
              ...雑誌「mobilia」を編集した女性デザイナー

              グレーテ・ヤルク1920年、デンマーク・コペンハーゲン生まれ。北欧の黄金期に活躍した、数少ない女性デザイナーの一人。家具職人として修業をした後、王立芸術アカデミーにてコーア・クリントに師事し1953年に独立します。家具デザインだけでなくデザイン史、40年間のキャビネットメーカーズギルド展を編集者として書き残しています。代表作:GJ Chair

              Arne Vodder (アルネ・ヴォッダー)
              ...フィン・ユールに師事

                1926年、デンマーク生まれ。Niels Vodderのもとで建築と家具製造の経験を積んだのち、コペンハーゲンの王立アカデミーでフィン・ユールに師事。以来、フィン・ユールは師であり友人であり、ビジネスパートナーでもありました。卒業後はコペンハーゲンのHindsgaulでオフィス装飾を担当するデザイナーとして働き、1950年に建築家Anton Borgと建築とデザインのスタジオを設立。家具だけではなく、1,100件にも及ぶローコストな家屋設計も手がけ大成功を収めています。代表作:side board model29A

                Kai Kristiansen (カイ・クリスチャンセン)
                ...クリントの教えを実践

                  1929年、デンマーク生まれ。1966年から1970年までのスカンジナビア家具見本市の共催者を務めました。日本では2014年から宮崎椅子製作所で、いくつかの商品が復刻されています。代表作:NO.42NV31、FM Reolsystem Wall Unit

                  おわりに

                  国の特性や歴史から見るデンマーク家具の特徴、いかがでしたか?優れたデザインの背景にはどのような環境・文化があるのか。どのような歴史を辿ってきたのか。詳しく紐解くことで、そのデザインの魅力もより一層深まるように思います。

                  デンマーク家具についてもっと詳しく知りたいという方は、冒頭でもお伝えした多田羅さんのご著書「流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史: なぜ北欧のデンマークから数々の名作が生まれたのか」(誠文堂新光社) もぜひあわせてお読みください。

                  デンマーク家具の、見た目だけでない奥深い魅力を知るきっかけとなれば幸いです。

                   

                  広報 岡田

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                  この記事をかいた人

                  岡田 智理

                  グリニッチ広報・企画担当。
                  インテリアコーディネーター資格、住空間収納プランナー資格を所有。
                  ブログや企画イベントを通して、暮らしを満たすヒントや、グリニッチが提案するさまざまな価値について、明るく楽しくお伝えしていきます。

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